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行田市・吹上町の田口不動産ブログ
物件情報や行田市・吹上町の地域情報をご紹介いたします。週2回くらいの更新をします。

北埼玉について その2

昔の街並みは車で移動すると面倒なのですが歩いたり自転車に乗るといろいろな発見があり風景が飽きなくて良かったりします。
私も市内をジョギングするのが結構好きです。
そもそも行田の街中というのは関東平野の2大トラフィックである利根川と荒川の両方がもっとも接近し人力または風力で海から遡上できる限界点であり高速道路のジャンクションのような最高の場所だったのです。
穀倉地帯にあり平坦で人や牛馬や船がとても移動しやすかったのです。
十万石というのは規模として政令指定都市のようなものだったのです。
東日本最大の古墳群があったのも交易のしやすさから古代人も要所としていたからなのです。
当然関東平野の北の要所ですから戦略上の拠点にもなります。
攻められ奪われないよう城塞を造られるのですが城塞は責められないようにするため街道から離れて内部の通り抜けをわざと悪く作っています。
これが城下町が発展しない原因と言われています。
広かったり急に狭くなったり道路が鉤の手や袋小路が見られ自動車での移動が難しいのです。
区画整理公地整理が進まず発展しません。
先に書いたように文明開化後にすぐに城下町の解体をしたのはいままでの生活習慣や文明のありかたでは充分だったのが産業革命によって全くダメになってしまったことに即座に対応したためでそれ自体は慧眼といえるでしょう。
内燃機関と電気によって帆船と牛馬と太陽の光や飛脚が蒸気機関(内燃機関)の汽車や自動車と電灯と電信に取って代わられたのです。
入り組んだ城塞は埋め立てて官公庁をつくり足袋工場を近代化したのです。そのため行田市民はとても潤沢な資産を持っていて埼玉県内の金融機関の多くが行田発祥であったり県内の埼玉りそな銀行で預金残高で行田支店が預金残高が最も多かったのです。
利根川と荒川を使って物流は行われていませんし城下町というのは落とされないように工夫を凝らしていますから今の文明には合わないのです。
近代化には成功したのですが国内で工業を行わなくなってきて足袋のニーズも減少し生産をスリッパに変えていったのですが時代に合わなくなっていきました。
産業革命に乗って発展したもののモータリゼーションの発展に対応できなくなったことと穀倉地帯であっても米作が経済力の象徴でもなくなっていったことも要因だと思われます。
戦後経済が盛んだった余力(遺産)で進んでいったのが徐々に失速していったのです。
鴻巣の場合は熊谷や行田のような余力が少ない分、余計に経済活動の失速が大きかったりします。
鴻巣は吹上宿と鴻巣宿自体が小さいため観光及び商業工業的な下地がないのです。
今の現状は当時は時代に対応した先人の判断から我々世代が時代に対応できていないからであり未来への宿題でもあると思います。
幕末の城郭や街並みを遺産として残していないからといっても当時は時代の急激な変化の中で生きていかねばならなかったので仕方ないのです。
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